徳川2世さん
C57100は機関車が保存されていた時の案内看板にも爆心地近くの動輪モニュメントにも、最初の救援列車はC51と記載されているので、C57が最初の救援列車ではないということは知られていると思いますが…
志免町から豊後森に移設した29612は当時長崎機関区配置で、原爆投下時の様子は不明ですが、その後の救援、復興に活躍したと思われます。
豊後森移設にあたってこうした機関車の歴史も評価され、8月9日には機関車を囲んでの黙祷が行われていると聞きます。
C57100の部品が新津の19号機に移設されているのですね。
JRの動態保存機へ静態保存機の部品が転用されているのは各地で行われていますが、解体される機関車から部品提供が行われたのはせめてもの慰めかと思います。
ギビアンさん
山陽本線の蒸気機関車運用についてお調べですか、あいにくと雑誌、書籍などの資料の大半を寄贈してしまって手元に参照できるものがありません。
山陽本線の全線電化は1964年で防府のあたりは最後まで非電化だったところです。
電化しても電気機関車不足や側線が非電化のままというところもあり、1970年代初頭ですとまだ蒸気機関車が見られたことは間違えないかと思います。
富海あたりだと小郡配置のD51が行っていたのかと思われますが、当時の運用表は上記のように参照できません。
このBBSはそれほど見ている方多くはないので、SNSが使えましたらそちらで問い合わせてみてはいかがでしょうか。/11926/11925/11924/11923