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[11311] アルバイト:燕号 2020/08/06/木 09:04

 ご無沙汰しております、燕号です。HIDEKI様のアルバイトの話に釣られてノコノコ出て来た次第です。
 学生時代夏休みに日本食堂名古屋営業所でバイトをした事があります。ここでのバイトは主に車内販売で恐怖の381系特急「しなの」長野往復、新幹線「こだま」広島往復、「ひかり」博多往復でした。自然振り子の381系はカーブに掛かるとワゴンごとひっくり返りそうになるの押さえるのに必死でした。列車酔いに弱い人には務まらず、必然私が乗務する回数が多かったです。揺れは酷かったですが、お客さんは行楽客が主で堅苦しく無く気楽でした。「ひかり」は夏休み期間中と言う事で物凄い混雑で、2号車に有った多目的室(通常はシャッターで閉鎖されていた)を使って露天商宜しく、水を張ったポリバケツに氷と缶飲料を入れて販売していました。ワゴン販売は出来ないので籠での販売で自由席車両が担当でした。一番楽だったのは「こだま」で乗客は少なく、広島での滞在時間が長く観光地巡りが出来ました。うなぎ弁当は営業していない食堂車でご飯を炊いてビュッフェの調理台でパックされたウナギを湯煎する車内調製でした。この時社員の方が賄い用の食事も準備して終着駅が近づいて車販の営業が終わると食堂車で皆で食事となりました。ちなみに「ひかり」は営業所食堂を利用、「しなの」は乗務時間が短いせいか賄いは無かったと記憶しています。
 当時国鉄乗務員さんはコーヒー等の飲み物は無料、お弁当等の食事は半額での提供でした。車掌さんだけでなく運転室にもデリバリーしており、時に運転室で休憩させてくれる運転士の方もいました。売り上げが一定金額を超えると繁忙手当が付きました。「ひかり」ですと食堂車、ビュッフェ、車内販売で往復¥100万を超え、帰着してからの精算が大変でした。
 今や、食堂車、ビュッフェはおろか車販でさえ絶滅危惧種、うーん、もっと利用しとけば良かったと思いつつも、学生の身では高嶺の花でしたね。長文失礼しました。/11310/11309/11308/11307
掲示板 汽車・電車1971〜